京都 新熊野神社(いまくまの じんじゃ)      Imakumano Jinja Shrine       9.Nov.2010        天空仙人の神社仏閣めぐり

新熊野神社 Official Page
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「新熊野神社」「拝殿」
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「樟龍弁才天」「樟龍弁才天」
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「花の窟神社

熊野にあるイザナミ命の埋葬地

日本最古の神社」

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「【神】豊斟水渟神

【仏】普賢菩薩」

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「【神】面足神

【仏】毘沙門天」

「【神】国狭鎚神

【仏】文殊菩薩」

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「【神】樟大権現

【仏】樟龍弁財天」

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「熊野古道入口」「熊野古道」
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「上社」「中四社」
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「【神】瀧尻王子

【仏】帝釈天」

「【神】発心門王子

【仏】梵天」

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「【神】稲葉根王子

(稲荷神)」

「【仏】荼枳尼天」
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「八咫烏(やたがらす)」「後白河法皇坐像」
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「【神】制多迦童子」「【仏】不動明王」
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「【神】矜羯羅童子」「那智の滝

熊野那智大社」

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「大斎ヶ原

旧熊野本宮大社」

「神倉山・ごとびき岩

熊野速玉大社 元宮」

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「八咫烏絵馬」「八咫烏絵馬」
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京都 新熊野神社(いまくまの じんじゃ)

Imakumano Jinja Shrine

京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42

42,Naginomori-cho,Imagumano,Higashiyama-ku,Kyoto-shi,Kyoto


京都 新熊野神社


境内案内

新熊野神社は熊野信仰に基づいて建てられた神社で、そのエッセンスが右の曼茶羅に描かれています。 この曼茶羅は熊野本宮八葉曼茶羅をモデルに当社オリジナルとして作成したもので、 ここに描かれている世界と全く同じ世界が境内全体を使って立体的に構成されています。 これを立体曼茶羅といい、この曼茶羅が当社の案内図となっています。 我々は神も拝めば、仏も拝みます。この信仰を神仏習合といい、神と仏を一体の存在として捉えているから、 神も仏も拝めるのです。 この信仰は平安時代に成立したといわれており、その先駆けとなったのが熊野信仰です。 曼茶羅の中央に描かれているのが千手観音で、本殿に祭られている熊野牟須美大神(別名イザナミ命)がこれに当たります。 また、その左右に描かれているのが阿弥陀如来と薬師如来で、上社に祭られている熊野家津美御子大神(別名スサノヲ命)、 速玉之男大神(別名イサナギ命)がこれに当たります。 そして、千手観音の上に描かれている釈迦如来で熊野の大自然を統べる神々を総称させており、 その代表的な四柱の神々が下四社に祭られています。 さらに千手観音の下に描かれている十一面観音は天照大神に当たり、若宮社に祭られています。 そして斜めの四柱の神々が中四社に祭られています。 また八葉の上に描かれている神々が、当社の裏山に祭られている神々で、それぞれ神仏一体で祭られています。 さながら熊野古道とも言うべき場所です。 そして八葉の下に描かれているのが当社の大地に鎮まる神々で、右下に描かれているのが当社のオリジナル、 樟龍弁才天(くすのき大権現)です。 「熊野信仰が「蟻の熊野詣」と呼ばれる一大ブームをおこしたのは、当時の人々が熊野灘の向こう、 太平洋の彼方に仏国浄土(=神の国高天原)があると考えていたからで、熊野がその入口だったのです。 熊野には阿弥陀如来の極楽浄土、薬師如来の浄瑠璃浄土、千手観音や十一面観音の補陀洛浄土、 釈迦如来の妙喜浄土など、あらゆる浄土の入口が揃っていたのです。 当社の境内に祭られている神仏は全て「御神木くすのき」を使用しています。 それは「くすのき」が熊野牟須美大神の表れである、という当社の信仰を示すためです。 境内をゆっくり散策し、熊野信仰の真髄を目で見、体で感じ、熊野の神々と心で触れ合っていただければ幸いです。


当社は、「熊野大権現社」とも「熊野十二社権現」ともいわれ、 熊野本宮大社、熊野那智大社・熊野速玉大社に祭られている12神をお祭りしています。 社殿の配置図は上の通りですが、本社にお祭りしている神は、能野至須美大神といい、 一般には、伊弉冉尊と言われています。 熊野那智大社の主祭神です。 上社には@熊野速玉大社の主祭神、速玉之男大神(通称、伊弉諾尊)A熊野本宮大社の主祭神、 熊野家津美御子大神(通称。素戔嗚尊)が祭られています。 我が国には、八百万の神々といって多数の神々が居られますが、 大きく分けると自然神(自然そのものが神)と祖先神(祖先の霊が神)の二つに分割されます。 若宮社には、皇祖天照大神が、中社には天照大神から神武天皇に至るこの神々(忍穂耳命・瓊瓊杵命・彦穂々出見命・鵜茅草葺不合命)が祭られており、 これらは全て祖先神です。 一方、下社には、火の神軻遇突智命・土の神埴山姫命・水の神彌都波能売命・食物の神稚産霊命が祭られており、 これらは全て自然です。 牟須美とは、「自然の営みの中に生命の根源がある」という日本人の持つ自然神信仰を総称する言葉で、 当社の社殿の配置は、自然科の祖神である事が祖先神の神であるが、 以下の全ての祖先神・自然神を統合する形になっており、信仰の理念が、社殿の配置に示されています。


上社

向って右に速玉之男大神(伊弉諾尊の別称)

向って左に熊野家津御子大神(素盞鳴尊の別称) をお祭りしています。


中四社

ご祭神アメノオシホミミノミコト(天照大神の御子神)・ニニギノミコト(天孫降臨の神)・ ヒコホホデミノミコト・ウガヤフキアエズノミコトの四柱を祀る社で、 皇祖天照大神から第一代神武天皇に至るまでの神代四代の皇祖であり、同時に私どもの遠いご先祖様でもあります。


後白河上皇お手植の「大椿」さん

今から約3年前、当社草創の的、後白河上皇は紀州国(和歌山県)の熊野から土砂、材木などをこの地に運び、 熊野になぞらえて、その新宮、即ち新熊野神社を創建された。 その折、熊野より移植、国家鎮護と万民福祉とをご誓願、お手植されたのが、現在の大樟である。 又熊野の神々がご降臨になる「影向の大樟」といい、 健康長寿、病魔退散特に上皇が常にお腹を煩っておられたところから「お腹の神様」と信仰され、 人々から「大樟大権現」と尊崇されている。 朝タ排ガスの激しい場所にありながら、樹勢は益々旺盛で、日夜人々の営みを見守り続けている姿は、 尊く畏き極みである。

(京都市の天然記念物)


熊野三山の「土と柳」の八百年ぶりの対面

後白河上皇は、八百有余年前、紀州国(和歌山県)の熊野三山をこの地に勧請して、 現在の新熊野神社をご創建になった。 その際上皇は、熊野より土砂、材木、一本一草に至るまで運び、社域を築き、社殿を造営し、 熊野をこの地に再現されたといわれる。 その昔を物語る生証人は、上皇お手植の大樟のみである。 去る昭和8年8月8日、和歌山県観光協会(会長同県知事)主催により「熊野詣再現セレモニー」が、当社で行われた。 その節、当社草創の昔を偲び、熊野三山より「土と柵」が運ばれ、大樟さんと八百年ぶりの対面式が行われた。 その熊野の土をここに納め、その棚を植樹して、記念とした。


能楽大成、機縁の地

当地は能楽の大成者世阿弥が、まだ藤若丸と称していた文中三年(1374)のころ 父の観世清次と共に大和の猿禁結崎座を率い勧進興行を行なったところで、 世に「今熊野勧進猿楽」と呼ばれ、見物していた室町幕府第三代将軍義満が、 その至芸に感激、二人を同朋衆に加え、父子を、それぞれ観阿弥・世阿弥と名乗らせた機縁の地である。

時の将軍の援助をうけた世阿弥は父の志をつ後顧の憂いなく猿楽の芸術性を高めるため日夜、研究努力を重ね、 これを今日の能楽に大成させた。

謡曲史跡保存会

以上 境内 案内板より


新熊野神社

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山県)熊野の神を この地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。 上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や枕木を用いて社域や社殿を築き、 那智の決の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。 皇室の尊崇が厚く、社域は広社、社殿は荘厳を極めたが、 応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化勲)は寛文十三年(1673)に聖護院の道寛親王により再建されたものである。 境内の樟の木は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、 健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。 足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。

京都市

Imakumano Shrine

Established by retired emperor Goshirakawa in 1160 by dividing the spirit of Kumano shrine in Kishu (present Wakayama) to here. It is said that Tara no Kyomon who established the first samura dominated administrative government in the history of Japan, were ordered by the emperor and built the shrine field and the building by using soil and woods from Kumano, and realized Sacred Place Kumano by graveling small rods from the beach of Nachi The shrine gan veneration from imperial family and had a large field and solemn building, but was destroyed due to Onin no Ran, a civil war fought mainly in Kyoto from 1467 to 1477 The present main building Kyoto City-designated cultural property, was rebuilt in 1673 The camphor tree in the garden is said to be transplanted from Kumano by retired emperor Goshirakawa himselt. The sacred tree is believed in as the god of health and longe, especially as the guardian god of abdomen and the guardian god of safe delivery Here is also known as the place where Yoshimitsu Ashikaga, the third shogunate of Ashaga Shogunate who reigned from 1368 to 1394 during Muromach Period saw Japanese Yical No drama played by Kanami and Zeami tather and son

Kyoto City

京都市 案内板より


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