鹿児島 照国神社(てるくに じんじゃ) Terukuni Jinja Shrine 22.April.2019 天空仙人の神社仏閣めぐり
「鹿児島 照国神社 拝殿」 |
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「鹿児島 照国神社 神門」 |
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「鹿児島 照国神社 斉鶴」 |
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「大鳥居」 | 「神門」 |
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Oo-torii | Shinmon |
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「拝殿」 | 「社号額」 |
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Haiden | Shagogaku |
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「島津斉彬公銅像」 | |
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Shimadu Nariakira ko dozo | |
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「門帳」 | |
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Moncho | |
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Terukuni Jinja Shrine
鹿児島県鹿児島市照国町19-35
19-35,Terukuni-cho,Kagoshima-shi,Kagoshima
御祭神 照国大明神 島津斉彬 島津斉彬公(1809〜1858)島津家28代当主 島津斉彬公は、文化6年(1809)薩摩藩主の27代島津斉興公の嫡男として誕生なさいました。 母は鳥取藩主池田治道の娘賢承院です。 海外の文化に強い関心を示された曽祖父島津重豪公に可愛がられ育てられたため、 斉彬公も海外の情報・文化に精通されるようになりました。 そして、アヘン戦争(1840〜1842)で、アジアの大国・清国がイギリスに敗れたことから、 西欧諸国の植民地化政策を恐れ、斉彬公は、日本がひとつにまとまり、 強く豊かな国づくりを目指すべきだとお考えになりました。 そして、嘉永4年(1851)藩主になられると、鹿児島の磯に「集成館」と言う工場群を築き、 ここを中心に、造船・製鉄・紡績・電信・ガラスなどの様々な事業に取り組まれました。 また、人材育成のため教育にも力を注がれ、西郷隆盛や大久保利通など有能な人材も育て上げました。 斉彬公は、安政5年(1858)、世を去られましたが、日本を強く豊かな国に生まれ変わらせるという夢は、 弟の島津久光公やその長男忠義公、さらに西郷隆盛や大久保利通ら多くの家臣の手で実現されました。 この斉彬公の銅像と、隣接の探勝園内にある久光公・忠義公の銅像は、 大正6年(1917)彫刻家の朝倉文夫(1883〜1964)によって作製されたものです。 巨大な鳥居は、功績の象徴 一英主島津斉彬を祭る一 早くから開国論を唱え西郷・大久保を指導して幕政改革をめざした島津家第28代藩主斉彬は、 1858年7月15日、炎天下での閲兵が災いしてその後にわかに発病、あっけなく49歳の生涯を閉じました。 幕末史に強烈な印象を残す英明藩主斉彬のリーダーシップは、中央政界での活躍の他、藩政においても発揮され、 集成館事業(造兵事業)を手始めに、紡績事業、造船事業を起こし、 電信、製鉄、写真、ガラス、ガス灯などの西洋文化を積極的に取り入れ、 日本の近代化の基礎を築いたのです。 斉彬の開化事業は、当時鹿児島を訪れたオランダ人技術将校が一目見て驚嘆する程の水準にあったことが記録されています。 死後朝廷は、その数々の功績を讃え、照国大明神の神号を贈りました。 そこで、1864年(元治元)鶴丸城西側の南泉院跡に一社を造営、照国神社が創建されたのです。 境内に島津斉彬、隣の探勝園には久光、忠義の銅像が建っています。 |
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