入間 龍圓寺(りゅうえんじ)(新久観音) Ryuenji Temple 武蔵野観音霊場 第二十番 13.Oct.2012 天空仙人の神社仏閣めぐり
「入間 龍圓寺(新久観音)」 |
---|
「本堂」 | 「鐘楼」 |
---|---|
Hondo | Shoro |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
「観音堂」 | |
---|---|
Kannondo | |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
「観音堂」 | 「虚空蔵菩薩」 |
---|---|
Kannondo | |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
「日切地蔵」 | 「子育て地蔵」 |
---|---|
Higiri-jizo | Kosodate-jizo |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
「十一面観音菩薩石像」 | 「南無大師遍照金剛像」 |
---|---|
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
「干支の守り本尊 丑 虚空蔵菩薩」 | 「干支の守り本尊 卯 文殊菩薩」 |
---|---|
Kokuzobosatsu | Monjubosatsu |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
「干支の守り本尊 龍 普賢菩薩」 | |
---|---|
Fugenbosatsu | |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
---|
Ryuenji Temple
埼玉県入間市新久717
717,Araku,Iruma-shi,Saitama
【御詠歌】
霧雲も 晴れて大悲の御姿を 拝む心は 浄土なるらん
龍円寺の観音堂 子安子育てで信仰されてきた千手観世音。お祭りの日には賑やかな境内も、 普段は静寂で、緑に包まれて、小高くなった所にたつ観音堂は、風情あるおもむきを漂わせます。 また、唐洋式は破風造り瓦葺きの屋根に照り映えたまばゆい光が印象的です。 入間市景観50選 案内板より
龍圓寺 真言宗の寺院で龍岳山歓喜院と称し、本堂を正面に、右に庫裡、 左に観音堂、鐘楼、観音堂前左に大師堂及び日切・子育て両地蔵尊の別堂がある。 開山開基については、はっきりしたことがわからない。寺伝によると、 建仁年間(1201〜4年)の頃、寂蓮法師が武蔵国を巡礼の折、 ここに千手観世音像を安置したのが始まりという。宝永6年(1709年)になくなられた俊誉和上が中興となっている。 なお、本堂安置の本尊は虚空蔵菩薩である。 鐘楼には、かつて、享保年間(1716〜34年)製作銘のある梵鐘があったが、戦時供出で失っている。 現在の梵鐘は、昭和23年に新しくかけられたものである。 慶安2年(1649年)には、徳川家光よりお墨付きの朱印状(寺領15石)を与えられ、現在、寺宝の古文書として保存されている。 明治34年春、灰燼と化した観音堂が大正3年に再建され、昭和42年以降、本堂ほかの諸堂も整備された。 由緒ある観音様は、子安、子育ての観音として常に参詣者が多い。 買 なお、当寺境内の庭前には、巨石を配して「北狭山茶場の碑」(市指定)が立っている。 これは、茶業が本県の重要産業にまで発展したのを記念にしたもので、 市内にある茶場碑のなかでは新しいものの 一つで、昭和12年に造立された。 碑は根布川石で約3メートルを数える。 また、観音堂裏の石積みは、平成記念として墓地整備をした折のものである。 入間市 境内 案内板より
新久はやし 新久はやしは、神田ばやし隠岐流の系統で、江戸が発達するにしたがって交流が盛んになり、 商人や職人などが往き来するうちに習い覚えて伝えられたといわれている。 このおはやしは、毎年7月21日、22日に近い土曜日・日曜日に行われる八坂神社例祭の天王祭と、 8月16日・1月16日の千手観音祭に奉納される。 天王祭は御神体を祭典場の仮宮にお迎えし、みこし、やぐら、屋台など行列をつくって村内を回り、 区ごとに設けられた神酒所にみこしをお迎えし、村内の安泰、五穀豊穣を祈念し御神体をお送りしてお祭りは終わる。 入間市教育委員会 入間市文化財保護審議委員会 境内 案内板より
|
ホーム| 神社・仏閣めぐり| 御利益別寺社一覧| さくらのかんづめ| 旅のかけら |
Copyright © 2012 I.HATADA All Rights Reserved.