金沢 宇多須神社(うたす じんじゃ) Utasu Jinja Shrine 22.Nov.2017 天空仙人の神社仏閣めぐり
「金沢 宇多須神社」 | |
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「利常公酒湯の井戸」 | |
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「三福神」 | 「忍者?」 |
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「手水と紅葉」 | |
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Utasu Jinja Shrine
石川県金沢市東山1丁目30−8
1-30-8,Higashiyama,Kanazawa-Shi,Ishikawa
宇多須神社由緒 「卯辰社」 びしゃもんさん 養老二年(西暦718年)卯辰村一本松に卯辰治田多聞天社(「卯辰社」)が創建された。 社記によれば、浅野川河辺の小丘の中より得た古鏡の裏面に、 卯と辰の網紋様があったので、これを卯辰神として祀るとあり、 古老は鳥居に卯辰総社一位治田多聞天の額を掲げたとある。 延享三年9月(1746年)卯辰の山中は児女老病の人々の参詣しがたきにより、藩の許可を得て卯辰八幡宮の隣接境内地に遷座。 「卯辰八幡宮」加賀藩社 慶長四年(1599年)閏3月3日藩祖前田利家公が薨逝、二代藩主利長公が利家公を神として祀ろうとしたが、徳川家康に遠慮し公然と神社創立に踏み切れず、 同年12月に元越中國守山(高岡市)の守山城時代に崇敬していた物部八幡宮を遷座すると称し金沢城の表鬼門の現宇多須神社々地に社殿を建てて利家公の神霊を祀り、 越中國阿尾(氷見市在)の榊葉神明を合祀して藩社「卯辰八幡宮」とした。 慶長9年(1604年)加賀藩は藩士に命じ禄高に応じて祭祀料を奉献させた。 慶安4年(1651年)三代藩主利常公はさらに前令を厳しくし、それ以後、藩士は佳節や毎月1日、15日登城後直ちに卯辰八幡宮に参拝することを例とした。 命じ4年の廃藩置県により、藩の手から離れ社殿追々破損し営繕の目途なき故に、有志により、明治六年(1873年)、尾山神社を建立し「前田利家公」を遷座した。 「卯辰神社」 明治11年卯辰八幡宮の社殿は「卯辰社」の氏子中により改修・造営され、毘沙門さんと従前よりの祭神を祀る氏子神社「卯辰神社」となる。 「宇多須神社」 「卯辰神社」は、明治34年(1901年)卯辰山の本名が宇多須山ということから宇多須神社と改称。 平成16年(2004年)11月6日、尾山神社より「前田利家公」の御分霊を遷座し、再び御祭神とした。 祭神 御祭神 高皇産靈神・甕槌男命・大國主神・市杵嶋姫命・大山祇命・八重言代主命・少彦名神・宇迦之御魂命・豐受大神・崇徳天皇
宇多須神社は慶長4年(1599)二代藩主前田利長公が金沢城の鬼門の方角の当地に前田利家公をお祀りした、元の加賀藩社『卯辰八幡宮』です。
利常公の酒湯の井戸 この井戸は卯辰八幡宮(現在の宇多須神社)が創建された慶長四年(1599年)頃に出来たものと伝えられている。 卯辰八幡宮は、明治の廃藩置県まで加賀藩の神社(二代の利長公は金沢城の鬼門のこの地に利家公をお祀りした藩社)として、歴代藩主以下奥方や家老のお参りは日常的にあり、 この井戸もご神水(彌都波能売神)として大事にされてきた。 中でも、五代綱紀公が疱瘡にかかられたとき、当社において祈願をし、このご神水を沸かし、 お酒を入れて「酒湯」として体にかけ、治したとされている。 綱紀公治癒のお祝いに、後見人の利常公が三代将軍徳川家光より自服二十を戴いたいう記録が残っている。 境内 案内板より
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