三河國一之宮 砥鹿神社(とが じんじゃ)
     Toga Jinja Shrine 
           8.Nov.2017
           天空仙人の神社仏閣めぐり
三河國一之宮 砥鹿神社 Official Page
三河國一之宮 砥鹿神社
「三河國一之宮 砥鹿神社」

三河國一之宮 砥鹿神社

三河國一之宮 砥鹿神社 写真 三河國一之宮 砥鹿神社  写真
「砥鹿神社」
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「社号額」
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三河國一之宮 砥鹿神社 浮御堂 写真 三河國一之宮 砥鹿神社 弁財天 写真
「日本一のさざれ石」「鼓楼」
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「社紋 亀甲に亀卜」「社紋 亀甲に亀卜」
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「神鹿絵馬殿」
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「三河えびす社」「三河えびす社」
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三河國一之宮 砥鹿神社(とが じんじゃ)

Toga Jinja Shrine

愛知県豊川市一宮町西垣内2

2,Nishi-Kakiuchi,Ichinomiya-cho,Toyokawa-shi,Aichi


三河國一宮 砥鹿神社(里宮)

祭神  大己貴命

例祭  五月三・四・五日

特殊神事

一月三日 田遊祭

一月八日 弓始祭

二月七日 火舞祭

当神社は、太古より本宮山にお祀りされていたが、 今から約 千三百年前の大宝年間、現在地にお遷しした。 爾来、三河國一宮として、或いは、東海地方の総鎮守として、 広く朝野の崇敬を寄せられてきた。

現在は、交通安全、厄除守護、家運隆昌のご神徳が仰がれている。 社殿は、昭和三十七年に造営成った。総檜造りの荘厳な建物である。

本宮山砥鹿神社奥宮

祭神  大己貴命

例祭    二月六日

特殊神事  

一月六日  宝印祭

一月十五日 粥占祭

里宮の北方に聳える秀麗なお山が、本宮山(海抜789m)である。 山頂に奥宮が鎮座し、古代から信仰の山として、尊崇され、境内には大小の磐座が点在する。 又、山頂附近の社叢は、神域として保護され、愛知県の天然記念物に指定されている。 山上からの眺望は素晴らしく、三河湾・アルプス連峰・富士山が一望に見渡せる。

交通 本宮山スカイラインを通り車で40分 151号線新城市千郷小学校左折

境内 案内板より


三河国一宮 

延喜式内社 砥鹿神社

御祭神 大己貴命

例祭日 5月4日

由来

当社の創始は詳らかではない。当社神名が国史に明記されるのは、 文徳実録巻二、嘉祥3年(850)秋7月の条からで、従五位下の神階に叙せられとある。 その後幾度かの加階を経て文政10年(1827)には正一位の神階に昇叙した。

平安時代初期以降当社は三河国の一宮、また延喜式神名帳登載の名神小社として、 朝野の崇敬を受け、当三河国内神社の首座として国司の巡拝及び奉幣に預かった。

慶長7年(1602)に、徳川家康より朱印領として一宮領百石、 同8年(1603)には本宮山領20石の寄進を受け明治に至った。

明治4年(1871)の官国幣社の制度では、国幣小社の筆頭に列したが、 戦後この社格制が廃止になり、現在神社本庁別表神社として、本宮山奥宮とともに時代を超えて、 広大無辺な御神威が受け継がれている。


大己貴命(大国さま)を祀る旧国幣小社で東海地方の総鎮守の神として各方面から篤い崇敬をいただいています。 昔は本宮山にお祀りされていましたが、 御神託により今から約千三百年程以前の文武天皇大宝年中に現地にお迎え申し上げてより、 里宮本社と本宮山奥宮の二社となり、三河国一宮として広く尊崇せられ、 交通安全、家運隆昌、厄難消除の御神徳が皆様に仰がれています。 摂社二宮社は事代主命(えびす様)をお祀りし「三河えびす社」とも申し上げています。 又、三宮社は建御名方命(諏訪様)をお祀りし、共に御本社の御子神で崇められています。


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