飯能恵比寿神社(はんのう えびす じんじゃ) Hanno-ebisu Jinja Shrine 29.March.2015 天空仙人の神社仏閣めぐり
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Hanno-ebisu Jinja Shrine
埼玉県飯能市飯能263
263,Hanno,Hanno-shi,Saitama
武州飯能恵比寿大神縁起 今から約400年の昔武州高麗郡中山村(現飯能市中山町)に平安の末期より代々館を構えていた中山家14代の当主勘解由家範は或る夜丑満(うしみつ夜中1時頃)の刻仏壇に祀られた本尊大日如来の枕辺に立たせ賜って「汝の館今安泰と雖も未申(ひつじさる)の方向(西南方)に不吉の兆しあり。 恵比寿大神を勧請して守護神となし是を信ずる時は諸災は排除されて家運は開け後世に名を残し子宝に恵まれる事間違いなし夢々疑う事なかれ」とさわやかなる御声に目を醒ましました。 家範は直ちに館の裏鬼門に守護神として祀ってある飯能村の諏訪八幡神社の境内に恵比寿大神の御尊像を安置し深く信仰しました処元亀元年長男照守、天正4年次男信吉(のぶよし)の二児に恵まれ恵比寿大神の授り児と信じて大切に養育長ずるに及んで徳川家康に仕えて共に信任厚く兄照守は馬術の名手として其の名高く御旗奉行に累進して知行2500石を賜りました。 特に弟信吉は思慮深く誠実実行の人格者として知られ常に家康お座右に待し常州水戸藩の創設に当りては初代頼房の訓育を委ねられ諸事万端一切を司り、水戸藩の基礎を築き其の功により元和8年水戸の在松岡に25000石を賜わり松岡城主となり寛永5年5月従五位下備前守に任し水戸家の筆頭家老として忠節をはげみ寛永19年正月6日遂に病没したが遺した多くの書物は後に光圀の大日本史を編纂するに当たり貴重なる参考資料となり蔭の功労者中山信吉の名は偕楽園の梅の香と共に今なを薫り高く知られて居ります。 尚其の子孫は代々水戸家の名家老として明治維新に及びました。 又奉祀せられた恵比寿大神に領主の崇拝・庶民の信仰と相知し是を信ずる者は家運開け子孫繁栄して家庭は円満に繁盛致しました。 此の霊験を伝え聞き及んだ善男善女は福徳円満子宝恵授の神として参詣する者絶えず社運益々盛んに荘厳なる社殿は諏訪八幡神社と並び仰がれたのであるが、 安永5年3月不慮の火災に罹り共に灰燼に帰し其の後諏訪神社は氏子多数の信仰により再建されましたが、当恵比寿大神の社殿は領主中山家代々の江戸転移と共に信者離散して遂に再建ならず御仮社のまま幾星を迎えました。 尚中山家館跡と近くの常寂山智観寺に眠る信吉の墓は共に埼玉県史跡として、又中山家代々の墓は武陽山能仁寺に飯能市史跡として保存されて居ります。 社殿の造営に就いて 右飯能恵比寿大神は御仮社のまま永らく世間から忘れられて居ましたが最近武蔵野七福神の一つとして参拝者日毎に増加しつつありますので関係者一同現在の姿を見るに忍ばず社殿の造営を計画広く浄財を募り是に応ずる多くの信者の協力を得て茲に荘厳な社殿の完成を見ました。 社運の復興迹きにありしと信ずる次第であります。 境内 案内板より |
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