群馬 榛名神社(はるな じんじゃ)
     Haruna Jinja Shrine 
          27.Aug.2019
           天空仙人の神社仏閣めぐり
群馬 榛名神社 Official Page
群馬 榛名神社
「群馬 榛名神社 拝殿」

群馬 榛名神社
「群馬 榛名神社 拝殿」

群馬 榛名神社
「群馬 榛名神社 拝殿」

群馬 榛名神社
「群馬 榛名神社 拝殿」

群馬 榛名神社
「群馬 榛名神社 拝殿」

群馬 榛名神社
「群馬 榛名神社 双龍門」

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「拝殿」「拝殿」
HaidenHaiden
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「拝殿」「扁額」
HaidenHengaku
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「随神門」「御姿岩」
Zuishin-mon
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「随神」「随神」
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三重塔

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双龍門

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「双龍門と鉾岩」
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「鉾岩」
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「東面堂」「神幸殿」
TomendoMiyukiden
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「行者渓」「瓶子の滝」
Gyoja keiMisuzu no taki
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七福神

※毘沙門さまを撮りそこないました。
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「寿老人」「布袋」
JuroujinHotei
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「福禄寿」「恵比寿」
FukurokujuEbisu
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「弁財天」「大黒天」
BenzaitenDaikokuten
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「天狗」
Tengu
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群馬 榛名神社(はるな じんじゃ)

Haruna Jinja Shrine

群馬県高崎市榛名山町849

849,Harunasan-cho,Takasaki-shi,Gunma


榛名神社由緒

当社は第三十一代用明天皇丙午元年(1300余年前)の創祀で延喜式内社である、 コ川時代の末期に至る迄神仏習合の時代が続き満行宮 榛名寺などと称えて 上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが、 明治初年神仏分離の改革によって榛名神社して独立した

御祭神

火産霊神(鎮火開運)

埴山毘売神(五穀豊穣)

社殿は寛政四年の改築(170余年前)御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている 神代舞(大々御神茶三十六座)は250年前から伝えられたもので国の無形文化財に指定されている


榛名神社

≪国指定重要文化財≫ 平成17年12月27日 指定

本社・幣殿・拝殿

文化三年(1806)の再建。手前が拝殿、奥が本社で両者をつなぐのが幣殿。 本社、拝殿ともに人母屋の権現造。屋根は銅板葺。目貫の鷲、左右海老虹梁の二能など彫刻が多い。 格天井の花草飛龍の絵は仙台藩の絵師根本常南の筆。 祭神は火産霊神、埴山毘売神。

国祖社・額殿

国神社はもと榛名山西部の御祖霊嶽にあったものを、 いつの頃からか本社のそばに摂社として祭るようになったと伝えられ、 天保十二年(1841)に修復された。 祭神は豊城入彦命、彦狭島命、御諸別命。

神仏分離以前は本地仏を安置し、本地堂とも呼ばれた。

額殿は文化十一年(1814)、国祖社に増築する形で建立。 本来は神楽の拝見所であるが、大小の「太々御神楽」の扁額を掲げてあることから額殿と呼ばれている。

双龍門

竣工は安政二年(1855)。間口十尺、奥行九尺。総欅造。 四枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された龍の彫刻が施されていることから双龍門と呼ばれるようになった。 羽目板の両面には「三国志」にちなんだ絵柄が彫られており、 天井の上り龍、下り龍とともに双龍門の風格を高めている。 棟梁群馬郡富岡村清水和泉、彫刻武蔵熊谷宿長谷川源太郎、天井の龍は高崎藩士矢島群芳の筆。

神楽殿

明和元年(1764)十一月の再建。方二間の高床形式。 神に奉納する神楽を演じる場所であり、 本殿と向かい合い、床の高さを同じくする。 棟梁は佐藤直右衛門。

神幸殿

矢立スギから少し登った左手にあり、安政六年(1859)の建立。 塗装は施されておらず、古式の仏堂の形式を踏襲している。

随神門

二ノ鳥居をくぐった正面にある八脚門で弘化四年(1847)の建立。 神仏習合時代には仁王門であったが、現在は随神が祀られている。

≪群馬県指定重要文化財≫ 昭和五十七年四月二十日指定

鉄燈籠

銘文によると元亨三年(1323)に沙弥願智が大工芳十光長に作らせ奉納したとある。 材質が鉄であることや基礎の獅子が浮き彫りにされている格狭間の形状などに鎌倉期の特徴がよく表れている。 鉄灯籠として県内最古。

群馬県教育委員会

高崎市教育委員会

案内板より


東面堂 とうめんどう

Toumendo

道上の岩にはめこまれた扉は東面堂という建物の名残です。 扉はおそらく須弥檀(しゅみだん)の奥に秘仏、 千手観音を安置したところにはめこまれたものと考えられます。 ここは上野34所の21番札所でした。 歌川広重の『榛名山雪中図』(左図)には、この東面堂をはじめ懺悔橋(ざんげのはし)・ 満年泉前辺りにあった境内茶屋や行者渓などが見事に描かれています。


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