勝山 平泉寺白山神社 (へいせんじ はくさんじんじゃ)      Heisenji-Hakusan Jinja Shrine       24.May.2016        天空仙人の神社仏閣めぐり

平泉寺白山神社 Official Page
平泉寺白山神社
「平泉寺白山神社」

平泉寺白山神社
「平泉寺白山神社」

平泉寺白山神社 参道 写真 平泉寺白山神社 鳥居 写真
「参道」「一の鳥居」
SandoTorii
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平泉寺白山神社 参道 写真 平泉寺白山神社 鳥居 写真
「参道」「二の鳥居」
SandoTorii
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平泉寺白山神社 拝殿 写真 平泉寺白山神社 拝殿 写真
「拝殿」「拝殿」
HaidenHaiden
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平泉寺白山神社 拝殿 写真 平泉寺白山神社 拝殿 写真
「拝殿」「扁額」
HaidenHengaku
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平泉寺白山神社 御本社 写真 平泉寺白山神社 御本社 写真
「本社」「本社」
HonshaHonsha
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平泉寺白山神社 御本社 写真 平泉寺白山神社 御本社 写真
「本社」「本社 向拝」
HonshaKohai
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平泉寺白山神社 越南知社 写真 平泉寺白山神社 別山社 写真
「越南知社」「別山社」
OnanjishaBetsuzansha
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平泉寺白山神社 開山山 写真 平泉寺白山神社 縁結び観音 写真
「開山社」「縁結び観音」
KaizanshaEnmusubi Kannon
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平泉寺白山神社 御神木 写真 平泉寺白山神社 御手洗池 写真
「御神木」「御手洗池」
GoshinbokuMitarashi-ike
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平泉寺白山神社 狛犬 写真 平泉寺白山神社 狛犬 写真
「狛犬」「狛犬」
KomainuKomainu
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平泉寺白山神社  写真 平泉寺白山神社 下乗石 写真
「下乗石」
Gejoishi
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平泉寺白山神社 旧玄成院庭園 写真 平泉寺白山神社 旧玄成院庭園 写真
「旧玄成院庭園」「旧玄成院庭園」
Kyu-genjoin TeienKyu-genjoin Teien
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平泉寺白山神社 旧玄成院庭園 写真 平泉寺白山神社 旧玄成院庭園 写真
「旧玄成院庭園」「旧玄成院庭園」
Kyu-genjoin TeienKyu-genjoin Teien
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平泉寺白山神社(へいせんじ はくさんじんじゃ)

Heisenji-Hakusan Jinja Shrine

福井県勝山市片瀬50字

50,Aza,Katase,Katsuyama-shi,Fukui


平泉寺白山神社


平泉寺白山神社説明文

福井、石川、岐阜の三県にまたがる白山(標高2702m)、古くから信仰の山として、富士山や立山と共に日本の三名山と仰がれました。 そして白山は、福井県が生んだ偉大な宗教家泰澄大師によって開かれ、 ここ平泉寺白山神社も、大師によって養老元年(717)に創立されました。

以来、平泉寺は、白山の表参道として、更に中世には、48社36堂6000坊が建ち並び、 多くの僧兵を擁して大いに栄え、この時代には福井県(当時の越前)の宗教、文化、武力、の中心として、 強大な勢力を誇っていたと伝えられています。 ところが、天正2年(1574)に加賀の一向一揆の乱入によって、全山ことごとく焼失してしまいましたが、 豊太閤の時に再興され、尚白山を管理していましたが、 明治4年(1871)に白山は、加賀に編入され、同時に神仏分離の命令によって寺号を棄てて白山神社となって今日に至っています。 しかも今猶大社の面目を残し、全盛時代を物語る参道の石畳、本社前の大石垣、大拝殿当時の礎石をはじめとして、老木が左右に立ち並んでいます。 更に600年前に建てられた楠木正成公の墓塔や、永平寺奉納の石燈籠など、数多くの史跡に富み、 平泉寺城址として国の文化財に指定をされています。 また、この境内には慶長年間に造られたといわれる旧玄成院庭園があり、国の文化財に指定されています。 このように境内がそのまま史跡であり、数多くの文化財が保存されている所は、他には見当たりません。


白山神社

福井県勝山市平泉寺町鎮座

御祭神  本社   伊弉尊(いざなみのみこと)

      別山社  天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)

      越南知社(おおなむちしゃ) 大己貴尊(おおなしちのみこと)(大国主命)

創建   養老元年(717)

由緒

当社は白山の開祖・泰澄大師の創建にかかる。 大師は白山登拝の途中林泉(今の御手洗池)を発見され、そこで白山の神の託宣をうけられ、 当地が神明遊止の聖地なのを知り、社を建てて、白山の神を奉斎されたのに始まる。

白山信仰の中心地で、古くは白山平泉寺と呼ばれ、後世一般に平泉寺の名で知られたため、 寺院であるかのようにおもわれてきたが、本来神社である。 平安時代以降白山登拝の拠点である白山三馬場の一つとして隆盛を極めた。

鎌倉時代のはじめ、兄頼朝に追われた源義経が奥州平泉に落ち延びる途中、 当社に詣でたことが『義経記』に見え、鎌倉末の後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に呼応して、 当社の僧兵が大野郡牛ヶ原の地頭を攻め、滅ぼしたことも『太平記』に見え、著名なことである。

中世の最盛期には、社領9万石、48社・36堂・6000坊とうたわれ、 戦国時代には一乗谷の朝倉氏とともに越前における一大勢力であった。 平泉寺出身の三光坊(さんこうぼう)は、能面師の祖と仰がれている。

このような当社であったが、惜しくも天正2年(1574)折から係争中の一向一揆のため放火せられ、 全山一時に灰燼に帰した。 その後約10年にして再興せられ、豊臣秀吉をはじめ、江戸時代に入ると、越前藩主松平家の篤い崇敬をうけ、 やがて明治維新に際し、政府の神仏分離令により長年の神仏習合の姿を脱し、 本来の白山社に復し今日に至っている。


拝殿 安政6年(1859)の造営

天正2年(1574)兵火にかかって焼失する以前は、正面45間という我が国最大の拝殿であった。 今も左右に残る巨大な礎石が規模の雄大さを物語っている。

その中央部に再建された現在の拝殿は、江戸時代の寄棟造榑葺(くれぶき)の簡素な建物ではあるが、 天平時代の風情を良く残していると言われる。

正面入口にかかっている「中宮平泉寺」の額は一品天眞親王(いっぽんてんしんしんのう)の筆。 拝殿内の絵馬は越前藩主松平家以下の奉納にかかり、桃山以降の逸品である。


御本社  寛政7年(1795)の造営

御祭神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)。

現社殿は越前藩主松平重富公による再建で総欅(けやき)の入母屋榑葺(くれぶき)。 昇り竜・降り竜の丸彫、壁面の浮彫などの彫刻も秀逸で、奥越には珍しい華麗な建築である。

御本社を中心に右に別山社、左に越南知社(おおなむちしゃ)を配するのは、 白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからであり、 このように白山三社の神々を勧進することは当社創建以来の姿と思われる。 今は失われているが、中世から近世には、さらに金剱(かなつるぎ)社と加宝社が加えられ、 五社が整然と立ち並ぶさまは壮観であったと思われる。”


旧玄成院(げんじょういん)庭園

昭和5年10月に国の名勝に指定された本庭園は、 享禄年間(約460年前)に室町幕府の管領・細川武蔵守高国により作庭されたと伝えられ、 現存する庭園としては北陸で一番古い庭である。 様式は枯山水。築山の正面高い所に一際高く立っている石が本尊石で、この石を中心に渦巻状に石が配置されている。

池の左手奥は滝を模した石組で、池の右に鶴島、左に亀島を配し、亀島の近くには石橋も架けられ、 池の前には宝船に形どった一位の木があり、蓬莱の趣を示している。

なお庭の左隅の五重の石塔には永享6年(1434)の銘があり、沙羅双樹とともに好古の客の喜ぶところである。

境内 案内板より


平泉寺は霊峰白山(標高2,702m)の越前側の登拝口に位置した山岳寺院で、 養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされます。 古代から中世後 期にかけては、白山信仰を背景に強大な宗教勢力を誇りましたが、 天正2年(1574)に、一向一揆の攻撃を受けて全山焼失します。 その後、再興に向かいま すが、境内は10分の1程度に縮小し、多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれました。 そして、明治の神仏分離令に際しては寺号を廃止し、白山神社となり現 在に至っております。 かつての境内全域は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡に指定されています。 また、白山から平泉寺白山神社境内一帯は、白山国立公園に指定された自然景観豊かなところです。 映画「サクラサク」の舞台にもなりました。

平泉寺・白山神社

今の平泉寺(へいせんじ)は町名であってお寺の名前ではありません、平泉寺にある白山神社です。

平泉寺は白山(2702メートル)の登拝口に開かれた山岳寺院である。 創建は養老元年(717年)とされ白山を開山した泰澄により開かれたと伝えられる。 古代から中世後期には、白山信仰の拠点寺院として大きな宗教勢力となった。 最盛期には四十八社、三十六堂、六千の坊院(僧侶の住居)が寺内に存在し、寺領は九万石・九万貫に達したという。 しかし、天正2年(1574)に一向一揆との戦いに敗れて全山消失。 間もなく中心伽藍は再興されたが、六千坊と呼ばれた多数の坊院は再興されることなく山林や田畑の下に埋もれた。 そして、明治初年の神仏分離令に際しては、平泉寺が廃止されて、白山神社となった。

平成元年度から始まった発掘調査では、白山神社境内から数百メートル離れた場所からも中世の平泉寺に関連した建物跡や遺跡が見つかり、 かつての境内が東西1.2km、南北1kmの広範囲にわたることがわかってきた。 これらの貴重な歴史的遺産を保護し後世に伝えていくために、平成9年にはかつての境内のほぼ全域約200ヘクタールが国の史跡に指定された。 また、平泉寺の背後の尾根上には白山山頂への登拝道である白山禅定道(越前禅定道)がある。 この道沿いには今も多くの旧跡が残る。


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